俺には高校生活がない。
不登校で、制服を着て学校に通うという経験をしていない。
だからホリミヤを観た時、最初に来たのは「ひどい」じゃなく「羨ましい」だった。堀さんも宮村も、自分を持っていて、自由で、眩しかった。廊下を歩いて、教室で笑って、放課後を誰かと過ごす。俺が持っていなかったものが、13話の中に詰まっていた。
学園アニメを観ると今でもそう感じる。
じゃあなぜ「ひどい」と検索されるのか。観た上で、その理由を全部解剖する。
ホリミヤとはどんなアニメか
作品概要
ホリミヤの原作はHERO(原作)×萩原ダイスケ(作画)によるコミカライズ作品だ。元はWEB漫画「堀さんと宮村くん」で、月刊Gファンタジー(スクウェア・エニックス)にて連載された。累計発行部数800万部超、全17巻で完結している。
アニメ1期は2021年1〜3月放送、全13話。制作はCloverWorks、監督は石浜真史。2期「ホリミヤ -piece-」は2023年に放送された。
ストーリーの舞台は片桐高校だ。学校では優等生・家では弟の世話をする堀京子と、学校では地味だが私服ではピアスだらけ・タトゥー持ちの宮村伊澄。お互いの「知らない顔」を偶然知ったことから始まる学園ラブコメであり、周囲の友人や生徒会メンバーを巻き込んだ群像劇的な広がりも持つ。
付き合うまでを引き延ばして焦らすのが王道ラブコメの文法だ。ホリミヤはそれをしない。6話で交際スタート。「早い」と感じるか「テンポいい」と感じるかで評価が真っ二つになる。
「ひどい」と言われながら評価は高い
Filmarks平均スコアは4.0点(20,415件レビュー)。この数字は「ひどい」というワードとは矛盾する。しかしこの矛盾こそが「ひどい」の正体でもある。
新規で観た人間には見やすい。作画は綺麗で、テンポよく完走できる。一方、原作を知っている人間にとっては消化不良になる。この二極構造が「ひどい」と「面白い」を同時に生んでいる。

観た。甘酸っぱかった。堀さんと宮村の関係性は良かった。でも何かが速かった。
ホリミヤのアニメがひどいと言われる理由——5つに分けて話す
理由①——13話に原作5〜6年分を詰め込んだ
これが最大の批判だ。原作5〜6年分の物語を1クール13話に圧縮している。6話で2人の交際がスタートするテンポは、原作を知らなければ心地いいが、知っていると「飛ばしすぎ」に映る。
30話分を13話に——この一言が批判の核心だ。原作を読んでいた人間にとっては、飛ばされたシーンの分だけ消化不良になる。知らなければ気にならない。「ひどい」の正体はここにある。
理由②——人気サブキャラのエピソードが大量カット
石川・吉川・生徒会(仙石・綾崎・河野)など人気サブキャラのエピソードがほぼカットされた。ホリミヤは群像劇としての魅力が大きい作品だが、アニメではメイン2人に絞りすぎた。
原作ファンが一番「もったいない」と感じるのはここだ。修学旅行・体育祭・バレンタイン——全部カットされた。後に2期(piece)で補完されたが、シャッフルされた構成のせいで全体の流れが掴みにくくなった。

サブキャラが魅力的な作品ほど、エピソードカットのダメージが大きい。石川と吉川の話が好きだった人には特につらいよね。
理由③——後半で主人公2人の存在感が薄れる逆転現象
1期後半になると、石川・吉川のサブカップルの話がメインになる。「ホリミヤなのに堀と宮村が脇役化する」という批判は的を射ている。メイン2人に絞った結果、サブの描写が中途半端になり、後半でそのサブが主軸になるという歪な構成が生まれてしまった。
理由④——ギャグ・コメディ要素が消えた
原作のほのぼのしたギャグ、シュールなツッコミ——これがホリミヤの世界観を支えていた。だがアニメでは再現が難しかった。漫画特有の間やテンポがアニメ化で失われやすいのは宿命だが、ホリミヤの場合はそれが世界観の核だったぶん痛手が大きい。
理由⑤——2期「ホリミヤ -piece-」の構成問題
1期が高校卒業まで描いて「完結」したのに2期が存在する——この構造的矛盾が問題の根幹だ。2期は時系列シャッフルされたショートコント集のような日常回の寄せ集めになった。
1期で完結させた時点でボタンが掛け違った——この指摘は正しい。ファンの熱意に応えようとして作った2期が、構成上の矛盾を生んでしまった。制作側の誠実さとアニメ構成の難しさがぶつかった結果だ。
「ひどい」の正体——これは原作ファンの期待値問題だ
「ひどい」と言う人と言わない人の違い
「ひどい」と言う人の多くは原作を読んでいた人間だ。カットされた場面を知っている。「あのシーンがない」「あのキャラの話が削られた」——喪失感が「ひどい」という言葉になる。
一方、アニメから入った新規層は比較対象がない。だから展開の速さをテンポの良さとして受け取れる。批判の本質は「作品そのものの質」ではなく「期待値とのギャップ」だ。
では新規で観るべきか
新規で観る場合、展開の速さはそこまで気にならない。むしろ13話で完結する手軽さが利点になる。ただし、原作を読んでから観ると、カットされたシーンへの喪失感は覚悟すべきだ。
この記事の結論を先に言えば、「ひどい」という言葉より「もったいない」が正確な評価である。

高校生活がない俺が観ると、あの空気感は本物に見える。だからこそ13話に詰めすぎたのが惜しかった。ひどいじゃなく、もったいない。
それでもホリミヤが響く理由
「素の自分を見せられる相手」という核心
堀さんと宮村の関係の核心は「学校と家で別の顔を持つ者同士が、本当の自分を見せ合う」ことにある。堀さんは学校では明るく華やかな優等生だが、家では弟の世話に追われる普通の女の子だ。宮村は学校では地味で目立たないが、私服ではピアスだらけでタトゥーがある。お互いが「知られたくない顔」を偶然知ったことで、2人の距離が縮まっていく。
この構造は展開の速さに関係なく、1話目から機能している。「展開速すぎ」と言いながら最後まで観てしまう人が多いのは、この核心が揺るがないからだ。
高校生活がなかった俺から見えたもの
俺には制服デートも放課後の教室も体育祭もない。中2から不登校になり、内申点もなく、通信制高校を3日で辞めた。高校生活というものを知らない。
だからホリミヤに描かれる「当たり前の青春」が眩しく映る。廊下で肩がぶつかって、教室で目が合って、帰り道を一緒に歩く。それだけのことが、俺にとっては別世界の出来事だ。
堀さんは学校で明るく、家では弟の世話をする「素」の自分がいた。宮村は学校で地味で、外ではピアスだらけの「素」がいた。俺はどうだったか。学校では頑張って笑顔を振る舞っていた。両親の喧嘩が絶えず、家では笑顔が消えていた。学校でも家でも、どこにも「素の自分」がいなかった。
16歳の時に一目惚れした彼女がいた。不登校の俺を救ってくれた人だ。その人の前で、人生で初めて全てをさらけ出せた。堀さんと宮村が「場所」ではなく「人」で素になれたように、俺も「場所」じゃなく「人」で変わった。だからこの作品の核心がわかる。素の自分を見せられる相手がいることの意味は、持っていなかった人間にしかわからない。
だからこそ「もったいない」と思う。本物の空気感を描けている作品なのに、13話に詰め込みすぎた。もっとゆっくり観たかった。あの廊下の空気を、教室の笑い声を、もっと浴びていたかった。「ひどい」じゃない。「もっとくれ」が本音だ。
よくある質問
まとめ:ホリミヤは「ひどい」じゃなく「もったいない」アニメだ
「ひどい」と言われる理由は5つある。展開の速さ、サブキャラの削減、主人公の存在感低下、ギャグの消失、2期の構成問題——どれも事実だ。だが「ひどい」の正体は、作品の質の低さではない。原作ファンの期待値問題だ。
学校では笑顔を演じ、家では笑えなかった。どこにも素の自分がいなかった俺が、16歳の時に初めて全てをさらけ出せる相手に出会った。堀さんと宮村がそうだったように、素の自分を見せられる相手がいることの意味は、持っていなかった人間にしかわからない。
だからこそ「もったいない」と思う。本物の空気感を描けている作品なのに、13話に詰め込みすぎた。「ひどい」ではなく「もっとくれ」——それがこの作品への正直な評価だ。アニメ1期・2期ともにU-NEXTの31日間無料トライアルで視聴できる。

あの廊下の空気を、教室の笑い声を、もっと浴びていたかった。それだけだ。



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