正直、ザ・メニューにはあまり共感できなかった。
考察部分が多すぎて、最後のオチがあっけなく感じた。
伝えたいニュアンスは大量にあったと思う。
だが映画として「刺さった」かと問われると、そうではなかった。
ただしタイラーの「心が砕かれる感覚」だけは理解できた。
俺も5年間尊敬していた人間に、最終的に音沙汰なしで切られた経験がある。
ザ・メニューのあらすじとキャスト|孤島のレストランで何が起きるのか
キャストと登場人物
ザ・メニュー(原題:The Menu)は2022年公開のアメリカ映画。
監督はマーク・マイロッド。
太平洋に浮かぶ孤島の高級レストラン「ホーソン」を舞台に、天才シェフが仕掛ける狂気のコース料理を描いたスリラーだ。
主要キャストは3人。
シェフ・スローヴィクを演じるレイフ・ファインズ。
彼の熱狂的ファンであるタイラーを演じるニコラス・ホルト。
そしてタイラーの同行者として島に来たマーゴ(本名エリン)を演じるアニャ・テイラー=ジョイ。
他の招待客にはIT長者、落ち目の映画俳優、料理評論家、富裕層の夫婦などが揃い、全員がシェフの「最後のメニュー」に巻き込まれていく。

レイフ・ファインズの静かな威圧感がすごいんだよね。孤島の予約困難レストランっていう密室設定もぞくぞくする!
シェフの計画——なぜ招待客を殺すのか
シェフ・スローヴィクはかつて純粋に料理を愛していた人間だ。
だが富裕層の客に消費され、評論家に品定めされ、料理が「ステータスの道具」に変わっていく中で、作ることへの情熱を完全に失った。
シェフは「食べる側」ではなく「作る側」として生きてきた——その逆転が物語の核だ。
招待客の全員が、シェフの料理を消費し、評価し、搾取してきた「奪う側」の人間だった。
副料理長ジェレミーが客の目の前で拳銃自殺する「混乱」のコースを皮切りに、シェフの計画は死へ向かって加速する。
全員を巻き込む炎の中で、レストランごと燃え尽きることがシェフの「最後の一皿」だった。
ザ・メニュー 映画 ネタバレ|タイラーの死とマーゴが生き残った理由
タイラーの崩壊——崇拝していたものに否定された時
タイラーはシェフ・スローヴィクを誰よりも崇拝していた。
食材の産地、調理法、盛り付けの哲学——すべてを暗記し、語れるほどの知識を持っていた。
シェフの料理に人生を捧げていたと言っていい。
だがシェフはタイラーに「作ってみろ」と命じる。
タイラーが必死に作った料理を、シェフは一口食べて否定した。
崇拝していた相手から「お前の料理は無価値だ」と突きつけられたその瞬間、タイラーは完全に壊れた。
精神が崩壊し、自ら命を絶つ。
タイラーが死んだのは、崇拝が壊れた時に「それ以外の自分」が何もなかったからだ。
俺も昔、尊敬していた社長とは5年くらい付き合いがあったが、最終的に音沙汰なしで切られた。
仕事のスピードが遅いとも言われた。
心が砕かれる感覚は死同然だとわかる。
タイラーのあの崩壊を観た時、その記憶だけは鮮明に蘇った。

崇拝していた相手に否定された瞬間の絶望は、経験した人間にしかわからない。映画全体には共感できなくても、あのシーンだけは痛いほど理解できた。
マーゴが生き残った理由——チーズバーガーが意味するもの
終盤、マーゴはシェフに対して「客を喜ばせるのがシェフの役目なのに、自分はいまだに空腹だ」と告げる。
シェフは「何でも作る」と応じ、マーゴはチーズバーガーを注文した。
シェフは丁寧にそれを作り上げ、マーゴは船で島を脱出する。
燃え上がるレストラン「ホーソン」を背に、チーズバーガーを頬張りながら。
なぜマーゴだけが生き残れたのか。
他の客は全員、シェフの料理を「ステータス」や「評価対象」として消費していた。
マーゴだけが「純粋に食べたいもの」を口にした。
それはシェフにとって、自分がかつて料理を好きだった頃の原点そのものだった。
チーズバーガーは「純粋に好きだったものに戻ること」の象徴だ。
ザメニュー 考察|「崇拝が壊れた時に何が残るか」——三者の対比
タイラー×マーゴ×ジョニーの三者対比
この映画の本質は、崇拝が壊れた時に何が残るかという問いだと俺は考えている。
タイラーはシェフを崇拝し、その崇拝が壊れた瞬間に死んだ。
「シェフのファンである自分」以外に何も持っていなかったからだ。
マーゴは最初から誰も崇拝していなかった。
だから壊れるものがなく、純粋な自分のまま生き延びた。
では俺はどうだったか。
5年間尊敬していた社長に切られた時、心は確かに砕かれた。
だが俺には「崇拝以外の自分」があった。
個人で仕事を取る力があった。
タイラーとジョニー(俺)の差は「崇拝以外の自分があったかどうか」——それが生死を分けた。

「崇拝の外に自分があるかどうか」が生死を分ける——映画の中の話だけじゃなさそうだな。
ジョニー(俺)にとってのチーズバーガーは何か
マーゴにとってのチーズバーガーは「純粋に食べたいもの」だった。
崇拝でも見栄でもなく、ただ自分が欲しいものを選んだ結果だ。
じゃあ俺にとってのチーズバーガーは何だったか。
社長に切られた後、俺は誰かに依存する働き方をやめた。
個人で稼ぐ仕事に特化し、自分の判断だけで動ける環境を選んだ。
それが俺のチーズバーガーだ。
崇拝が壊れた後に「じゃあ俺は何がしたいのか」と自分に問い直した結果、手元に残ったもの。
チーズバーガーを注文できた人間だけが生き残る——これがザ・メニューの答えだ。
ザ・メニューに「共感できなかった」理由|一通り経験した今の距離感
「もう過ぎた話だ」という距離感
一通り経験した今としては、映画の伝えたい内容を理解してもあまり共感する部分がなかった。
最後のチーズバーガーで「B級が実は最強」と言いたいのかもしれないが、そこに至るまでの考察要素が多すぎて、映画としてのカタルシスが薄かった。
「深い!」と言われる映画だが、俺にとっては「もう過ぎた話だ」という感想だった——これは批判ではなく、正直な距離感だ。
崇拝が壊れる痛みも、その先で何を選ぶかという問いも、俺にとってはすでに通り過ぎた場所にある。
だから作品としての完成度は認めつつも、胸に刺さる感覚はなかった。
ただし「今その渦中にいる人」には刺さる映画
ただし、現在進行形で参加者と同じ立場の方は同じ視点で観れるかもしれないので、面白いかもしれない。
崇拝していた誰かに「お前はダメだ」と言われている最中の人間には、タイラーの崩壊が他人事ではなくなる。
上司、師匠、憧れていた先輩——誰であれ、心から尊敬していた人間に否定された経験がある人は、この映画の見え方がまるで変わる。
俺のように「もう過ぎた」と感じる人間には距離のある映画だが、渦中にいる人にはナイフのように刺さる作品だと思う。

今まさに誰かに否定されている最中なら、この映画は他人事じゃなくなる。観るタイミングで刺さり方がまるで違う作品だ。
よくある質問(FAQ)
まとめ|あなたは今、誰かを崇拝しているか——その崇拝が壊れた時、何が残るか
ザ・メニューは「崇拝」と「消費」の構造を、食事という行為の中に凝縮して描いた映画だ。
シェフは消費され続けた果てに壊れ、タイラーは崇拝が壊れた瞬間に死に、マーゴだけが純粋な欲求——チーズバーガー——によって生き残った。
俺自身はこの映画に共感できなかった。
だがそれは作品を否定しているのではない。
崇拝が壊れる痛みも、その先で何を選ぶかという問いも、すでに通過した場所にあるからだ。
あなたは今、誰かを崇拝しているか。
その崇拝が壊れた時、あなたには何が残るか——ザ・メニューはその問いを食事に見立てて突きつけてくる映画だ。
もし今、誰かへの崇拝の真っただ中にいるなら、この映画はフィクションでは済まなくなる。
逆に俺のように「もう過ぎた」と思える人間には、かつての自分を振り返る鏡になる。
どちらの立場であっても、自分にとっての「チーズバーガー」が何かを考える価値はある。
ザ・メニューはDisney+で見放題配信中だ。
崇拝が壊れた時に何が残るか——U-NEXTでも多くの映画を31日間無料で視聴できるので、他のレビュー記事で紹介した作品とあわせてチェックしてほしい。

自分にとっての「チーズバーガー」って何だろう——って考えさせられるね。崇拝の外側に自分を持てているかどうか、振り返ってみたくなる映画だ。


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